前に、前に、前に、、、 Always moving forward

人は言う。

「限界は自分で設定しているだけだ」と。

「信念を持って挑戦し続ければ成功する」と。

 

そしてそれは真実だろう。

人は、恐らく何にでもなれるし、いつからでも挑戦をすることは可能だと思う。

 

自分の中で二つの声がする。

 

「君は、どこに行きたいの?」

そして、

「神様は、なんて言っているの?」

 

私はKotobaWord.

社会人サラリーマン。20代後半。

仕事はそこそこ充実していて、やりがいも感じている。

このまま仕事に没頭し、収入や地位を高めて行きたい希望はある。

 

その一方で、私はクリスチャン。

追求するのは、この「世」に属するものではなく、「天」に属するもの。

私の理想は、神が私に望んでいるものを望み、神の中で満ち足りた生活を送ること。

 

そのはざまで生きる。

 

そして、生きている私は、弱い人間だ。

神の中で生きることを願うと言いつつも、他人の目を気にし、

与えられた新しい役職に喜び、人から認めてもらうために仕事を人一倍頑張り、

上司や周りから尊敬の念を与えられることを願っている。

そして、より高い地位、より高い給料に吸い寄せられようとしているのだろう。

 

努力やハードワーク、そしてそれに伴う出世や高い給料それ自体は悪いものではないだろう。

自分の心がどこを向いているかが大切なのか。

人からの称賛を集めるための出世なのか、それとも、自分がともし火になり、人々を照らすため (マタイ5章15-16章) の出世なのかによって、その意味合いは180度異なる。

 

お金稼ぎはどうだろう。

インターネットで検索をしていると、「ユダヤ人のお金に関する考え方」という面白い引用を見つけることができた。

 

世の中には、色々な人がいる。お金儲けの出来る人はドンドンお金を儲ければいい。お金儲けをした人は、お金を儲ける才能のない人に与えればいい。人にお金を恵むときは、全員に配った方がいい。もらった人が恵んでもらったという惨めな気持ちにならないで済むからだ。しかし、どうしても一人の人にお金を恵むときは、むしろその人にお金を貸す形をとった方がいい。貸し借りは対等だから、借りた方が惨めにならないで済む。そのかわり、取り立ててはいけない。返せるときに返してもらうようにせよ。

 

ハッとさせられた。

聖書では、神から与えられた良いものを「賜物」と表現しているが、

ビジネスでは、「スキル」や「能力」ということができるだろうか。

 

神からのAという賜物は、持っている人もいれば、持っていない人もいる。

それを活用することは、決して神の意図に反することではなく、むしろ準ずることであるということ。

Aという賜物を持っている人は、同じ賜物を持っていない人を助け、逆にBという賜物を持っている人に助けてもらえば良い。

 

自分にとって何か得意なこと、好きなことがあるとすれば、それは伸ばしていこう。

仕事で成長したり、出世したりするチャンスがあれば、積極的につかんで行こう。

それを与えてくれた、もしくは自分が手に入る土壌を与えてくれた神に感謝しつつ。

 

それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(1ペテロ4:10)

 

私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。(ローマ12:6-8)

 

神様、あなたからの賜物に感謝します。

宇宙も、太陽も、地球も、この世のすべてを創造したのがあなたであるのならば、

当然、私が身に着けている服や、このパソコン、自分の能力、細胞でさえ、あなたがデザインし、私のために用意してくれたものなのでしょう。

あなたの前に、へりくだります。

そして、あなたのために、与えられた賜物を活かしきった人生を送ります。

最後の時に、「良い僕だ」と言っていただけるように (マタイ 25章23節)。