『道』 The Way

進み「たい」方向と、

進む「べき」方向。

 

自分には、今、二つの道が見える。

 

時には、その道が重なり合っていることもあるが、

そのような幸せなことはそうそうなく、

逆の方向を向いていることがほとんどだ。

 

時には、「べき」を選ぶことはできるし、

後からそんな自分を肯定することもできる。

 

ただ、「たい」方向を選んできたことの方が多いだろう。

そして、自己肯定はできないので、自己嫌悪に陥るか、

そもそも、「べき」は、それほど重要ではなかったのではないかと、

自己を正当化する。

 

そうすると、次に「べき」を選ぶ可能性は、

更に低くなる。

 

 

さあ、どうしよう。。。

 

 

 

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弱い自己、不安定な自己、嘘つきな自己。

 

私は、弱い。

 

私は、頼りにならない。

 

ならば、頼りになるものを探そう。

 

普遍的な、盤石な石を。

 

それはどこにあるのか。

 

 

ホリエモン

宗教?

人生の先輩?

自己啓発本

Youtuber?

 

 

それらはしょせん、人間か、人間の手によって作られたもの。

私よりは強かったでしょう。

私よりは偉大だったでしょう。

私よりは確信していたでしょう。

 

ただし、人間の手に、確信を掴むことははたしてできるのでしょうか。

 

 

常に信頼できるものとは。

常に確信できるものとは。

常に変わらないものとは。

 

それは、私たちが作ったものではなく、

私たちを作ったものではないでしょうか。

 

私は、「変わらないもの」を、追い求めたい。

 

 

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みなさんこんにちは、

コトワドです。

聖書を引用させてください。

 

いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。

(ヤコブの手紙1章6-8節)

 

「疑うな」と。

疑うことによって、生き方に安定さが失われてしまうと、この聖書個所は言っています。

また、私の尊敬する牧師先生でも、『疑うことは罪である』とおっしゃっている方もいます。

 

しかし、doubter である私には、それはできません。

 

「神を信じる」と、一度は宣言するものの、神や聖書の存在を忘れ、または、

忘れたふりをして、「べき」の道から、「たい」の道へと、

道を踏み外したことは、何度あるでしょうか。

 

 

『オール オア ナッシング』

 

信仰の道とは、本来であれば、ゼロかイチの世界ではないでしょうか。

「信じる」とは、そういうことではないでしょうか。

 

私は、なんと、偽善的な生き方をしてきたことでしょうか。

 

そして、そんな私の生き方は、確かに安定を欠いている。

 

 

………。

 

 

しかし、自分を、連れ戻してくれる存在がいる。

 

「コトワド、そっちの道じゃないよ」と。

 

そう言って、気づくと、私の手を握って、正しい道へと導いてくれる存在がいる。

 

私が、「たい」の道を選ぶたびに、何度でも。何度でも。

 

 

そして、何度でも。

 

その存在は誰?

 

その存在は、半分は、私やあなたと同じ、人間です。

痛みを知り、苦楽を知り、誘惑だって経験しました。

涙を流すことも、あります。

 

 

もう半分は、神です。

愛と優しさに満ちている。

いつ会っても変わることのない、安心感がある。

 

それはまるで、

『〇〇さんは、変わらないね』って、昔からの友達に会った時の安堵感、

何だか心がほっとするような感じ。

 

 

私自身の弱さから来る不安定さと、

人間が作った、世の中の不完全さと、

 

その中で揉まれながら、私は生きる。

 

私自身が、誘惑され、道を踏み外したことは何万回。

私以外の人が、道を踏み外したのを見て、辛く感じたことも、数えきれない。

 

 

そのたびに、私は戻りたい。

 

変わらない、あの人の元へと。

 

不安定な世界で、その人だけは不変。

 

その人だけは、信頼できる。

 

私を、正しい道へと導いてくれる。

 

エスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

ヨハネによる福音書14章6節)

 

 

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道に迷うという経験は、誰にでもあると思います。

その時にみなさんはどうしますか?

 

恐らく、近くの方に道を聞くか、

マップのアプリを使用するかと思います。

 

 

人生の道に迷った際にはどうでしょうか。

 

恐らく、人生の先輩に話を聞いてもらうか、ツイッターを見るか、

本を読むのではないでしょうか。

 

 

私は、 右手を、上にあげたい。

 

それは、大切なあの人に、道案内をしてもらうため。

 

自分で何とかしようともがくのではなく、

無力な自分を差し出し、ただ、あの人の声を聞くため。

 

 

私は、ただの私に過ぎないですが、

信頼できる、確かな存在がそこにある。

 

弱い人間であり、同時に、強い神がそこにいる。

私や、みんなの手を引こうとしている。

 

私は、ただ引かれていたい。

 

ただただ、神の愛の海に、おぼれていたい。

 

 

What is your right hand for?

 

あなたの右腕は、何のためにありますか?